2017年10月1日日曜日

FB読書会 2017年9月報告

10月です。今年もあと三ヶ月。


今月は23日に第6回N.T.ライト・セミナーもあり忙しくなりそうですが、『シンプリー・ジーザス』の方はしゅくしゅくと進行します。


9月は第8章をカバーしました。今回は担当ボランティアが一人に減りましたので、《感想》部分はほんの少しだけ紹介します。


第7章 説明するストーリー、変革をもたらすメッセージ(162-191)

ストーリー、ラザロと金持ち(162-169)

《引用箇所》 その良い例が、ルカの福音書16章19節から31節の、死後、別々の世界に住んだ二人の男についての不思議な話である。この話のポイントは、貧しい者を助けるべきだという警告と、悔改めの緊急性である。(163)
イエスは、種を蒔く人のたとえ、・・・そこに含まれている旧約聖書の響きが、聖書によく親しんだ聴衆の心に根を下ろすことを願った。・・・だが、罪人と思われていた人たちがそのメッセージを受け入れた一方、正しい人々の多くはまったく分かっていなかった。
 ・・・・・・イエスの言葉がどう機能するかを研究する専門家は、その「言語行為」効果を描く。すなわち、ストーリーを語ることで新しい状況、新しい世界が作り出される。(168-9)
「種まきのたとえ」と「ぶどう園と農夫のたとえ」(169-176)
《引用箇所》 イスラエルはまさに、再び蒔かれている種である。しかし多くの人は、「見ても見ず、聞いても聞かず、理解できない」ままでいる。多くの種が、道端や岩の上や茨の中に落ちてしまう。
 ここで言われているのは、イスラエルはいまのままではいけないということだ。(172)
次のストーリーは別の意味で重苦しい。イスラエル全体がイエスの神の王国のヴィジョンにまったく関心を示さないばかりか、それに激しく抵抗している痛ましい現実がそこに映し出されている。(174)
外側だけの改革以上のものが必要(176-181)
《引用箇所》 ・・・神の計画が成し遂げられ、イスラエルの運命が成就する。まさにその道筋の中にねじれが生じてしまっているのだ。
 いまこそ、イエスは単なる「偉大な宗教の教師」であって、新しい霊性のあり方や新しい救いの方法を教えたというたぐいの考えは退けるべきだ。(176-7)
 イエスは、もし神が天におけるように地においても王となられるのなら、外側だけの改革以上のものが必要であるとよく理解していた。それは単に既存の律法や規則の運用を強化し、厳格に実行することではない。それは、パリサイ派がやろうとしていたことだ。(181)
変容される心(182-191)
《引用箇所》  イエスのポイントは、神が王になられるとき、心の汚れの解決を提供してくださると言っているのだ。……その人のすべてを内側から刷新するのである。(185)
イエスは、神が王となるときに被造世界そのものが刷新されることを強調している。それゆえ神の王国における支配とは、創造の秩序の意味を明らかにする支配なのである。……

 心に関する他のすべての箇所を考え合わせれば、私たちは自信を持ってイエスの示したポイントはこうだと断言できる。すなわち、神が天でそうであるように地においても王となられるとき、*神は心の頑なさという病への解決をもたらしてくださるのだろう*。病める体へのイエスの癒しは、その人の奥底までも貫徹する。内側からの癒しによって変えられた人生は、神が王となられるとき、それにふさわしい創造の秩序を示すものとなるだろう。……

 イエスの教えが生活の私的領域での敬虔さについてだけのものでは決してない。(188-9)
《感想》 「心の頑なさ」は神が王になるときに癒される「病」であるとは、なんと感謝なことでしょうか。…… あと、この箇所は原文で読むと、神が王となるときになされる刷新が、いかに根本から徹底的になされるものかがはっきりわかります。

以上9月中の『シンプリー・ジーザス』は予定通り第8章を読了したことを報告します。


最後に「新規入会メンバー」について。 
2017年9月は、入会1名で、トータル230名となりました。


以上、ご報告まで。