2016年4月28日木曜日

身体的復活と埋葬

「イエスの復活の身体」として4本の記事をアップした。・・・(1) (2) (3) (4)

最近も「復活」については随時アップしているが、今朝また北米のジョン・パイパー牧師が何やら「埋葬」のやり方で「聖書的」「キリスト教的」と見解を述べているらしい記事があることを知った。

John Piper Makes Biblical Argument for Burial Over Cremation as It Relates to 'the Meaning and Importance for the Human Body'

『ジョン・パイパー、人間の身体的意義と重要さを考えると、火葬より土葬が聖書的であると主張』

パイパー自身の記事を読んでいるわけではないので(上記の記事にリンクがある)、あくまでこの記事にまとめられている議論を読んだだけだが、キリスト者は「火葬」より「土葬」を選ぶべき理由が何箇所かの聖書の解釈を通して提示されている(らしい)。

パイパーによると・・・
 「土葬」は、人間の身体(遺体)に対して敬意を払っているが、
 「火葬」は、火で遺体を焼き払う点で「嫌・身体」的だという。

キリスト教は「身体のよみがえり」を信ずるわけだから、その身体(遺体)の埋葬の仕方の点でも上記の相違を考えると、より「聖書的」「キリスト教的」な立場があるはずだ。それは「土葬」ということになる、ということらしい。

「復活の身体」がどんなものであるか・・・の議論と思弁は、おそらく「復活」の思想が顕在化してきたとき(第二神殿期ユダヤ教期)からあると思うが、キリスト教が特にユダヤ教以外の文化圏に浸透して行くにつれて様々に持ち上がったと思われる。

以下の動画でも言及されるが、教会教父時代、人肉食(カニバリズム)の文化背景を持つ信徒が、生前ある人が食べた(あるいは食べられた)人の「肉片」は、復活のときどのように扱われるのか、と云う問題で悩んだらしい。

復活信仰あってこその「復活の身体はいかに」と云う神学的疑問だから、それ自体は当然であるが(と思うが)、どのような思弁を用い、どのような現代的「実践(神学的適用)」を施すかは簡単な結論はないのではないかと思う。

新約聖書学での「終末論」の研究者としても名高い、Dale C. Allison Jr.が自らの(臨死まで行かない)近死体験を交えて「復活」「復活の身体」についてインタヴューに答えている。



・カニバリズム問題(5分30秒くらいから)
・復活の身体で「消化器系」は必要か
・「免疫系」「生殖器」はどうか
・何歳の身体で復活するのか
・夭逝したばあいはどうか
(教会教父時代から近代・現代に移行すると科学的知見の問題が浮上する)
・分子レベルで解体した「身体痕」は原子レベルで「拡散」して分からなくなるが
・原子レベルではもはや「誰の身体だったか」はナンセンスでは
と「思弁」は多様に拡散して行く。

さらに現代は「葬式」のやり方に関してもかなり多様に考えるようになっている。
「終活」の前に考えたい 死の迎え方と送られ方 - 東嶋和子 (科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師)(リンク
と云うわけで、パイパー牧師の「おすすめ」は一つの例と云うことになるだろう。

2016年4月25日月曜日

2016.4 雑談会報告

先日案内した雑談会の報告です。

 日時、4月20日(水)、午後1-3時  場所、活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会となり)

※出席を予定していた二人の姉妹が体調と仕事の都合で見えられませんでしたが、最近ではリアルの読書会としては集まった方です。
今回新しく参加なさった方(内一人はFB読書会メンバー)は二人とも道に迷ってぐるぐるしてしまったとか。

かるーく自己紹介から始まり、それぞれの経験から見えてくる
 「福音派の聖書理解から旧約聖書がそっくり欠落している」
 「牧師と信徒の健全な関係のあり方」
 「牧師の神学的リーダーシップ」
等の問題を念頭に開始。

(1)上沼師の報告
 今回(2016年1回目の来日)の日本各地でのセミナーで用いた資料を紹介して下さった。旧新約聖書全体を概観する「神の真実」チャート。
 セレクトした聖書引用箇所。
 その中でも中心となったロマ書5章1-21節

(2)After You Belive (AYB)への質問
 小嶋が用意したのは
・AYBは簡単に言うとどういう本なのですか?
 よく知られているキリスト教書や信仰書ではどれに近いですか?
・AYBが取り組むのはどういう問題ですか?
 そしてどのような解決を提示しようとするのですか?
・AYBは『クリスチャンであるとは』とはどう繋がりどう発展させているのですか?
このうち三つ目の質問には『ク・・・であるとは』から引用しながら答えていた(と記憶している)。

少人数でもあり、また信仰生活の長い方々なのでフランクな意見交換が多かった。
福音派の特色として「救い」「伝道」は重きをおくが、「信仰生活」の発展や方向性に関し、なかなか明確なヴィジョンを示せないでいるのではないか。
あるいは示せたとしても、様々な問題や諸課題に一貫した聖書的指針を提示できないでいるのではないか。
それが説教のテーマや内容に反映しているのではないか。

ライトの「新創造」(をベースにし、御霊によって「神の国」のために働く教会)のヴィジョンはそういった欠落状態に新風を吹き込んでいるように思う。


2016年4月5日火曜日

雑談会のご案内


『クリスチャンであるとは』訳者で、N.T.ライト・セミナー賛同人の上沼昌雄先生がいま日本に来られ各地で勉強会やセミナーをしています。



これに合わせてライト読書会も集まりを持ちたいと思います。いわゆるオフ会みたいなものでしょうか・・・。

 日時、4月20日(水)、午後1-3時
 場所、活水工房ティールーム(巣鴨聖泉キリスト教会となり)

《雑談会テーマ》
 今回は雑談会ですが、ライトの『After You Believe』がトピックです。


 『Simply Christian』『Surprised By Hope』と合わせ『After You Believe』で「三部作」といわれています。

 英国出版社のタイトルは『Virtue Reborn』ですが、米国では『After You Believe』となりました。

 「クリスチャン生活」「キリスト教倫理」の範疇に入る著作ですが、特に「徳の倫理」と言われる、近年また注目されるようになった「倫理学」の伝統を参照しながら、ライト神学の基本テーマである「創造→新創造」が展開されています。

 (そんな印象でした。再読して確認しなければなりませんが。)


 雑談会なので、特に発表とかはありませんが、「クリスチャン生活」「キリスト教倫理」は日本において伝道(救い)の次、教会形成での実際問題領域では多分に遅れている分野だと思います。

 「新創造」と言う大きな神学的ヴィジョンからいかに「神の国」宣教を推進するのか、そこでの「キリスト者の成長と役割」を考える機会を提供する著作ではないかと思います。


 ※いつものように、ご出席なさりたい方、関心ある方は
小嶋(t.t.kojiアットマークgmail.com
までお知らせください。

2016年4月4日月曜日

『新約聖書と神の民・上』 出版記念講演会 レジュメ

案内しています 講演会のレジュメが届いています。



イベントタイトル: 

  N.T.ライト『新約聖書と神の民』出版記念講演

講演題: パウロの「ストーリー神学」のクライマックス
    ―N.T.ライトによるローマ9-11章の講解―

講演者: 山口 希生


レジュメ:


1.N. T. ライト先生の紹介

2.「ストーリー神学」について

 ・ストーリー神学は、「文芸批評」や「物語神学」とは同じではない
 ・ストーリー神学とは、神学の営みにおいて、「歴史」をストーリーとして語ることを指す。同じ歴史を語るのでも、どのような観点からその歴史を語るかで、全く異なる神学的見解が表明される。


3.ユダヤ人たちのストーリー語り

 ・第一マカベア記…当時のユダヤ人たちが抱いていた「律法主義」とはどのようなものか?「律法への熱心(ゼーロス)」の意味を考える。
 ・4QMMT「律法のもろもろの行い」…当時のユダヤ人たちが抱いていた「申命記史観」について。そして特に、申命記30章の重要性について。


4.ローマ人への手紙9章―11章

 ①ローマ9章6節-29節

…パウロによるイスラエルの歴史語り。族長時代、出エジプト、バビロン捕囚とその後の回復。これらの歴史語りを通じて、アブラハムの子孫(スペルマ)、「約束の子」とは誰なのかが明らかにされる。


 ➁ローマ9章30節-10章4節

…「律法に達しませんでした」とはどういう意味か?ここで引用される申命記30章から、パウロの真意を明らかにする。

 ③ローマ10章5節-13節

…このセクション全体の心臓部。

 ④ローマ11章1節-24節

…イスラエルが捨てられたことの救済的意味。「もし彼らの捨てられることが、世界の和解となるならば…」

 ⑤ローマ11章25節-32節

…「全イスラエル」とは誰を指すのか?また、彼らはどのように救われるのか?



※当日講演へのレスポンスが、聖書学から、神学から、それぞれございます。

ご来場をお待ちしています。

2016年4月2日土曜日

FB読書会 2016年3月近況

早くも一ヶ月が過ぎてしまいました。

2月からフォーマットを変えたので少しはすいすい行くかと思いきやさにあらず・・・。


第9章「神のいのちの息


179ページ

つまり、パウロが「受け継ぐことの保証」として聖霊を語っているときは、イエスがそうであったように、出エジプト全体の伝統を呼び起こしているのである。
[コメント] 新創造(New Creation)は(新創造によって古くなるはずの)世界を焼却処分して出現するのではなく、その世界の只中から(苦難と死をくぐり抜けて)出現する。
180-1ページ  
聖霊は、生きた神ご自身の不思議な人格的臨在であり、私たちを導き、案内し、忠告し、叱責し、その過ちを悲しみ、そして、私たちが真の受け継ぐべきものに少しでも近づくとき、祝ってくださる方なのである。
[コメント] 「ガイド」として叱責もし、また祝ってくれもする(両面ある)・・・ということを思いました。
181-2ページ
ある人やある場所が、他の人や場所よりも特別だとは思いたくない。それは、啓蒙[主義]思想後の西洋的な感性に反するからである。
 最初に汎神論者に出会ったときのことをよく覚えている。
183-4ページ
選択肢<2>のような仕方ですべてを見る人にとって、聖霊の臨在とその働きというのは、道徳的な知恵の目立たない成長とか、息の長い、ドラマ チックでない犠牲的奉仕の地道な活動などではなく、癒しや異言、劇的な回心とかといった特別は、「超自然」なことに追って起こるものだと理解する。
184-5ページ
「一致」と「きよさ」は、ここ最近の世代の教会が直面している二つの大きな問題である。

第10章「御霊によって生きる

186-7ページ 
 それにもかかわらず初代のクリスチャンは、とくに聖霊について語るときは、律法を満たす義務のことを絶えず語っている。もしあなたが聖霊によって導かれ、力を得ているなら、律法が禁じている殺人や姦淫、それに類することをしなくなる、とパウロは明言している。
 [コメント] ・・・「律法」を「満たす[fulfill]」とはどういうことか、どう理解したらいいか、という問題について解説しているところですね。
187-8ページ 
もう一度繰り返すが、律法に重点をおこくのは、古代の由緒ある便利な道徳的指針であるからではない。そうではなく、律法は神殿の様に天と地が出あう場の一 つだからである。それ故、、何人かのユダヤ人教師が指摘するように、トーラーを学び、守ることは、神殿で礼拝するのと同じようなものということになる。そ して初代のクリスチャンは、天が地と重なり合い、かみ合う場として自分たちが生活するようにと励まし合っている。
[コメント] ・・・隅谷三喜男先輩が『日本の信徒の「神学」』でご指摘になられた自分自身にもある二階建ての信仰「キリスト教の世界と普段の生活の世界が分離したような信仰」の在り方、生活の基礎としての天と地が重なり合い、かみ合うような信仰の問題を改めて問われたような気がしました。
188-9ページ 
 神殿と律法だけが聖霊によって満たされるのではない。神が世界で働くものとして、古代からユダヤ教で言われてきた、さらなる二つの手だてを思い起こしてほしい。神殿、律法、聖霊に加え、神のことばと神の知恵である。(189)
 臨在、トーラー、ことば、知恵、そして聖霊。それらは同じことを語る五つの手段である。イスラエルの神はイスラエルと世界の創造者であり、贖い主である。いにしえに立てたご自分の約束に忠実であるがゆえに、イスラエルとこの世界において働かれる。(129-130)

189-91ページ 
 ・・・この同じみことばが、よきおとずれ、「福音」、すなわちイエスはよみがえられた主、と宣告するメッセージとして、今その役割を果たしている。(191)
[コメント] 「神のことば」が世界に増え広げられ、実を結んでいる。・・・という展開が、「聖霊」と「ことば」が伴って「(新)創造」のわざを推進している、といういつものライトの大胆な「ビッグ・ピクチャー解釈」が見える感じです。
191-3ページ 
 「神のことば」が世界に増え広げられ、実を結んでいる。・・・という展開が、「聖霊」と「ことば」が伴って「(新)創造」のわざを推進している、といういつものライトの大胆な「ビッグ・ピクチャー解釈」が見える感じです。
[コメント] >真の人間としていきいきと生きていくために必要だからである。

この文章、この本を読んで、聖霊の意味が一番良くわかったテキストだったんです。つまり、本来の人間の創造の姿、神のかたちの本来作られた神に喜ばれる状態、を取り戻す、ってことをこのあたりで始めて理解したというか…
193-4ページ 
作られたものがそうありたいと全力を尽くし、切実にしたい求めている姿にされるためである。現在の世界の美はすべて、さらに極められ、高められて現在、その美を破壊しているものから自由にされる。
神は聖霊によって、神自身との新しい関係を私たちにもたらす。そして同時に、私たちの隣人との、そして創造されたすべて徒の新しい関係をもたらす。聖霊による人間のいのちの刷新は、傷つき、壊れた人間関係を修復し、癒す力を与えてくれる。
(中略)霊的なものの探求は今や、天と地が結ばれることを追い求めることになる。
 [コメント] しびれました。特に、前半の部分は、『神がつくられた「最高の私」になる』というオートバーグの主張と重なり合うものがありますし、これまで主にプロテスタント派の教会が軽視ないし迫害してきた美の問題を回復の概念の中からとらえ直そうとしている様です。

   

 フェイスブック・ライト読書会のメンバーであるO牧師が、船の右側(地引網出版)という雑誌に『
焚き火を囲んで聴く神の物語』を連載しているのですが、そこに色々ライト読書会のことも出てくるそうです。

 

3月の入会者数は1名、退会者3名で、トータル193名となりました。
 
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。