2015年11月15日日曜日

ライトのカナダ時代(マッギル大)

この記事は少しずつ書き溜めている《伝記》関連の断片的記事である。

一番最初にライトの伝記?で、カナダ、マッギル大時代のことを書いた。
ライトが「コロサイ・ピレモンの註解(ティンデル聖書註解シリーズ)」執筆中に
By the time I finished it in 1985 I had undergone probably the most significant change of my theological life.
と言及している、「回心的」出来事がある。

この体験前には「リアリティーは二つの領域に分裂したまま」で、「福音のリアリティーが一方にあり、他方に世界と政治のリアリティー」が別々に並存して体験されていた、というのである。

その「分裂したリアリティー」が一つのものになったのが、マッギル時代であり、特にコロサイ註解執筆を通してであった、というのである。


この伝記的文章はとても短く、どのような形でそうなったのかは殆ど説明されていない。

今のところ推測するしかないが、幾らか光を当てる材料がネットに提供されているので少しずつ紹介していこうと思う。


J・リチャード・ミドルトン(J Richard Middleton)は日本では殆ど無名だと思うが、ノースイースタン神学校の「聖書的世界観/釈義」担当教授である。

1976年ごろ、リチャードは「被造世界全体が神の贖いの対象であり、それが新約聖書が目指しているゴール」であることを、ライトとは独立して把握するようになった。

しかし、そのポイントは周り(生徒たち)からは「奇異な見解」の持ち主と見られていた。

しかし、「ほぼ同様の聖書理解」の持ち主であるライトの登場で、状況は変わった。

共通の友人であったブライアン・ウォルシュ通じてライトと親しくなっていった。


その経緯をリチャードが自身のブログで4回に分けて書いている。

トム・ライトとのつながり、その1

トム・ライトとのつながり、その2

トム・ライトとのつながり、その3

トム・ライトとのつながり、その4

このレポートの中で、リチャートが挙げる具体的なコネクションは、
 (1) (リチャードの友人・共著者)ブライアン・ウォルシュ、そして妻のシルビア・キースマートがともにライトの(博士課程の)学生であった。
 (2) 1988年と1989年のライトの講義(Institute for Christian Studies in Toronto)
 (3) ライトがリチャードとブライアンの共著、The Transforming Visionから「世界観の4設問」をNTPGとJVGに活用したこと。
 (4) (そして最も肝心な)ライトが二元論的世界観を脱却する媒介となった
ことなどである。

興味深いエピソードも含めて、詳細は4連記事を読んで頂くとよい。


ただ肝心の「ライトの二元論的世界観からの脱却」に関してリチャードの観察を少し引用しておこう。
As Brian tells it, he kept challenging the sacred/secular dualism with which Wright was reading Colossians. Wright kept separating salvation in Christ from life in the mundane realm (including the political realm). But according to Colossians 1:15-20, the same Christ through whom all things were created, and in whom all things hang together, is the one whom all things are reconciled. The creator and redeemer are one.
これによると、ライトとブライアンがコロサイ1章15-20節をどう理解するかで「意見の交換」したことが大きな要因となっている、というものである。

ライト側はどうだったのか聞きたいが、NTPG, JVG, PFGでも「そのこと」の詳細には触れていないようである。

2015年11月1日日曜日

FB読書会 2015年10月近況

恒例の月例報告です。

10月は「第4回N.T.ライト・セミナー」があったにもかかわらず、こちらFBの方かなり
進展しました。
※ライト・セミナーの報告はこちらをご覧ください。



さて9月の月例報告では、小嶋が担当した「イントロ」を紹介しました。


次の、第6章「イスラエル」―アブラハムの召し(105-108)、の部分も小嶋が続けて担当することになりました。

ということで、ここでほぼ一部抜粋します。
木工が趣味の私が、この部分を読んでいて心情的に繋がる部分と、それが故に測りがたく感じる部分、それは一生懸命製作している作品が取り返しのつかないような失敗をしたとき、その作品を見ながら茫然自失(少し大げさだが)している姿である。

[... ...] しかし、神はその場面(創世記12章から)で、アブラハムを選び彼と契約を結ぶ。そして世界の救出計画を始動させる。

ところが、今度はアブラハム/イスラエルが「難破した船を助ける救命ボートが座礁し、救出を必要とする」ような苦境に陥る。

「たどり着きたい大団円がいつまで経っても到来」せず、それでも「奴隷状態からの救出」「捕囚からの回復」の場面を繰り返しながら、「究極の救出=イエス」にたどり着くまで、それがイスラエルが受け持つ物語り章ではないか、とライトは示しているのだと思う。
とこんな感じでした。

次の部分は、「旧約聖書の中心テーマ」―捕囚と帰還(109-115)、となっていますが、こちらはYさんが担当でした。

この部分では「捕囚」ということで、ダニエル9章のことが取り上げられていますが、Yさんの解説を少し紹介します。
・・・ダニエルは、エレミヤ書からこの神の怒りの時代、バビロン捕囚の期間が70年で終わることを知り、今こそ民の罪を赦してくださいと祈ります。
 しかし、この祈りに対する神からの答えは意外なものでした。神の民の咎が贖われるのは、この70年目ではなく、7の70倍、つまり490年も先(これ を象徴的に解釈する人々にとっては「気の遠くなるほどの期間」ということになります)になる、というのです。この時にこそ、神の遣わされたメシアは神の民を虐げる獣の国を滅ぼし、神の国を打ち建てるのだ、という理解が一世紀のユダヤ人たちの間で広まっていましたので、でははたしてこの罪の赦されるという490年後とは何年なのか、という議論が当時のユダヤ人たちの間でたたかわされていました。
この「長引く捕囚」は「・・・ライトを理解する上でカギとなるものですが、それだけでなく、旧・新約聖書を一つのストーリーとして読むためにも非常に有益な視点であろうと思われます。」、とYさんは結んでいます。

次、今度はMHさんが、神の民を支える4つのテーマ(pp.115-126)、を担当しました。
この部分では、旧約聖書および新約聖書の聖書の物語の骨格、あるいは核となる概念である4つのテーマが出てきます。
核となる概念は、王、神殿、トーラー、新しい創造 の4つです。
ということですが、感想として、神殿について以下のようにおっしゃっています。
これは、第2回N.T.ライトセミナーで「神殿」ということで、鎌野先生がお書きの論文や講演DVD(残念ながら売り切れ)お話されたこと、まさにこれです。
教会も天と地が交わるところ、という理解が私の背景となったプロテスタントでは案外弱い様な気がします。しかし、今年、ロシア正教会の礼拝にお伺いし、この前、横浜のロシア正教会で○○司祭から教えを乞うたのですが、東方正教会では、儀式として、この天と地がつながったということの表現とその形での表現が 非常に強い様に思いました。まぁ、聖具が置いてあるところを至聖所と呼ぶなど、天であり神の在所を設け、それの扉が開かれることで、天と地がつながる、と いうことを表現しておられました。
以上簡単に紹介いたしました。

その他ライトの新刊や、動画についての紹介もありました。

その中で日本語で読めるものとして月刊雑誌『舟の右側』10月号に、当読書会のメンバーでもある○○さんのインタヴューがあり、その中でライトのことに言及されているよ、と紹介がありました。

 
 
また、10月の入会者数は7名で、トータル188名となりました。
 
以上、簡単ではありますが、ご報告まで。