2013年6月16日日曜日

2013年6月8日読書会報告

あれから1週間経ったわけですが、加齢による記憶消失に抗いつつ貧弱にまとめてみます。

何はともあれ画像を先ず1枚。
これで記憶を呼び覚まそう。





不鮮明な画像で申し訳ありませんねー。

自慢じゃないが中古で買った200万画素のデジカメです。
ズームにしないとピンボケになるのです。
でも参会者の顔が良く分からないところが味噌。

当日は会場のことやら何やら一人でしなければならなかったので早めについた。
開始時間午後1時にはちらほら。

「まだ予定している人たちが集まらないから少し待ちますかー。」
なんて話しているうちに小嶋がとんでもない勘違いをしていたことが発覚。
何と開始時間を2通り皆さんに伝えていたのだ。

で最初に案内した午後1時30分まで待って、無事ほぼ予定した顔ぶれが揃って開始。

今回は11名。
ちょっと少ないと思われるかもしれないが、最初は2人で始まり、それから3人、4人、とやっていたのがつい2-3年前だから、やはり少々感慨。

本当はもう1人来る予定だったのだが、用事が出来てこられなくなった。
彼が来てたら十二人。
意味深だったのだがなー。

ここでまた画像を追加。




70代の方が二人おられたから、参加者の平均年齢は50ちょいというところか・・・。

そうそう、この画像の右隅でパソコンに打ち込んでいるのがミーちゃんはーちゃんさん。
ディスカッションの内容をご自分のブログで紹介されているので、マニアックなやり取りをお知りになりたい方はこちらをクリック。

さて後は大雑把な感想をば・・・。

ディスカッションはかなりハイレベルだったなー。
何しろ原典釈義できる人や留学経験者もかなりいて、「ちょっとついていくの大変」と思った話題もちらほら。

課題テキスト、Paul In Different Perspectivesのポレミカル(論争的)な性格の背景をしばし推理した。
この一般公開講演がなされた2005年と言えばライトの義認論解釈についてカルヴィニストたちがけんけんがくがくやっていた最中。
勢い自己の正統主義(オーソドキシー)的立場を旗幟鮮明にするのに少し前がかりになっていたかもしれない。

でもそこはさすがライト。
宗教改革の先駆者で初めて聖書を英語に翻訳しようとしたティンデルと友人のフリスの間で交わされた書簡から引用して講演を始めている。

In his first letter to Frith, dated probably in January 1533, he writes this memorable sentence, which was etched upon my mind and heart long before I became a Bible translator myself. ‘I call God to record,’ he writes, ‘against the day we shall appear before our Lord Jesus, that I never altered one syllable of God’s word against my conscience, nor would do this day, if all that is in earth, whether it be honour, pleasure or riches, might be given me.’


やはり宗教改革原則の根本には神のことばである聖書本文への忠実さが、その上に構築される神学に優先する、と言うことをカルヴィニストたちにアッピールしようということなのだろう。

そんな講演なわけだから、なかなか信仰義認関連聖書箇所の釈義部分は力が入っている。

ライトのニュー・パースペクティブ・オン・パウロの立場については色々と言えるだろうが、基本的には「如何に当該箇所のテキストの流れ(sweep)に沿って釈義がなされるべきか」と言う事が肝心なのだと思う。

ただ宗教改革者の聖書解釈のルールとされた、聖書テキストを他の(正典内の)テキストと照合して意味を確定して行くのに対し、ライトは(余りにも常識だが)第二神殿期のユダヤ教関連文書からの光を大いに活用して、不鮮明なテキストの意味を明らかにしていくわけだ。

もっと言えばテキストの流れを釈義するのに、第二神殿期ユダヤ教の世界観(解釈準拠枠になっている観もあるが)を再構成して、「神がキリストにおいて成就なされた救い」を、聖書全体を貫くナレーティブ構造(メタ・ナレーティブとも言われるが)を下敷きにして読み解いていく。

ある人はこれがライトの危うい部分だ、と指摘する声もある。
聖書テキストそのものの優先性を言っておきながら、その解釈枠となる複雑なシステムを構築してしまっているのではないか、と。
(このポイントは当日の読書会の発言ではなく、ライトについて時々軽い議論をするHさんのものだが・・・。)

まっ大した報告にならなかったが、雰囲気は少しは伝わったかな。

そうそう休憩の間のIさんとの会話で、今から10数年も前になるのだろうか、ライトの著作を少し翻訳して紹介し始めた時は、全く反応なかった・・・と言うお話を聞き、先駆者のご苦労いかばかりであったか、と思いをはせた。
 

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